毒親じゃない?だけど、母にはなんにも届かない話

子育て

こんにちは、かあちゃんです!

突然ですが、あなたはお母さん(実母)とうまくいっていますか?
上手くいってる人は率直にうらやましいです!
最近ネット上で実母とうまくいっていないと答える女性が増えてきているという記事を見ました。
周囲でも実母との関係に悩む女性はけっこういるなという印象です。

かくいう私にも、遠く離れた県に70代の実母がいます。
最近我が家でごたごたがあり、思い余って実母に相談した時に「あれ?」と思った事がありましたので、シェアしてみたいと思います。

びっくりするほど届かない

悩み相談の基本って何だと思いますか?
まずは相手の話を聞くことから始まりますよね。どんな状況で、どんな事があって…とまずは全体像が分からないとアドバイスなんかもしようがありません。

人は悩み相談をする時、まず話を聞いてほしいのです。

そして悩みの寄り添い方は人それぞれです。黙って肯定してくれる人、ひたすら共感してくれる人、アドバイスをしてくれる人、元気を出そうとはっぱをかけてくれる人。
だけど、これらはまず話を聞いて全体像が分かった所で行うからこそ説得力があり、相手に感謝されるわけです。

私の母はその超重要な「まずは話を聞く」という事が圧倒的にできていませんでした。

ある程度話を聞かないと、その人の悩みの本質は理解できません。
そして母は、そういったことをすっ飛ばして、自分の少ない経験から得た知識で
その悩みの原因・解決法を勝手に決めつけて終わりにしようとするという最悪のパターンでした。


しかも話の中心が私の悩みから、自分の昔話にぶれまくり、
あれ?結局あなたの苦労話で終わるつもり?という、とても残念な感じになっていくのです。

私はめげずに自分の話へ道筋を戻し、現在の状況や悩んでいる事を伝わるように努力したのですが、どういうわけか、母の態度には、私の言葉が全然入っていった感じがしなかったのです。
まるで母のまわりには、とても分厚い透明な壁があるように感じました。その壁のせいで何を投げても母には届かないのです。

私ははっとしました。
「そうだこの人昔からこうだったじゃん」と。

母の性格について

ここで母の基本的な性格や特徴について箇条書きにしてみたいと思います。

・明るいおっちょこちょい
・話がまとまらない
・ミクロ視点の自分の話ばかり
・相手に話を振らない
・老年になって自慢が増えた
・知らない事に関しては人の意見に流されやすい(意見が無い)
・友達はいない
・文章が壊滅的に書けない
・計算が壊滅的にできない
・検査を受けてはいないが、恐らく発達グレー

良い所:物事を色々率先してやってくれる(整理整頓など)
    褒められると自己犠牲・無償で色々やる(会社の残業など)

仕事は現在も保母をしており、ベテランとなりその部分で非常に自信を持っています。

【生い立ち】
両親が教師の家庭で、5人兄弟の4人目。次女として生まれる。
戦後生まれで、祖母や祖父は戦争があったので大変苦労し教師としても立派だったようです。
上に一人姉(私の伯母)がいるので、家の家事は姉と2人で分担し行っていたようです。

年頃になり、伯母が東京へ保母になる勉強をしに行く時に、自分もなるといって2人で上京。
そこから保母になり父と出会い結婚、2人の子をもうけ色々あって熟年離婚。
という感じの人です。

なぜこんなに伝わらないのか?

まるで何かのカプセルの中にいるような母。
これは一体どういうことだろう?と私は悩み相談の最中に、悩み始めました。

わざとなのか?特性からか?
私はもう母と20年以上一緒に暮らしていません。その間やりとりはずっとしていたし、泊りに行ったり来たりもしていたので不仲という事はありませんでした。その20年の間で私にも色々あり、10代20代の時とは性格も全く変わったなぁと自分でも思います。

ざっくりいうと、鈍感から敏感に変わっていったのです。

その変化のせいか、母と対峙すると年々気になるのが「母の鈍感さ」でした。
・この場面でそれ言う?
・この場面で何でそれ言わない?
・そんな人に何で関わってるの?
・それ言われて何とも思わないの?

など、年々積み重なる不満と疑問。年を取るにつれて、母という人間の不思議さが際立ってきたのです。それとともに、母が何か分厚いカプセルの中にいるような感覚が強くなっていきました。

そしてその頃、兄が発達障害という診断が下り、あっ、と私は納得したのです。

ああ、母もきっとそうなんだろうな。

母はきっと発達障害。色々と腑に落ちた瞬間でした。

実家でのエピソード

母には姉が一人います(私の伯母)。
伯母はどちらかというと繊細なタイプで、母の面倒を色々と見てくれたりしているし、私にとっては優しい伯母なのですが母にとってはどうやら違うようでした。二人の間には長年の溝があるようなのですが、その原因の一端を垣間見たエピソードがあります。

1.母の両親(私の祖父祖母)の〇〇年忌の時の話

ある日祖父祖母の〇〇年忌が伯父(長男)家で開かれた時の事、食事などの準備は伯母が中心となり、伯父の奥さん、親戚のご婦人方、母で行いました。私も微力ながら色々とお手伝いしていました。

が、母を傍目で見ていると「あれ?母は手伝いのメイン作業をせずに(伯母たちの輪に入らず)ずっと、サブ作業ばかりしているなぁ」というのが気になりました。直系の家族は、本来ならメインである料理をしたほうがいいのだと思っていたのですが。
そして当日朝から体調不良だった私は、ついに熱が出てきてしまい、私だけ母の家に帰る事にしました。私が帰ろうとすると、母もそそくさと帰宅準備を始め一緒に帰ろうとします。

「あれ?送ってくれるのかな?」と思って見ていると、それに気づいた伯母と母でなにやら会話していました。そして

「何であんたが帰るの!自分の親の法事でしょうがーーーー!」という伯母の怒号が響いたのです。
その様子から、母は私を家に送るだけではなく、そのまま法事には戻らずフェードアウトしようとしていたのでした。さすがにそれは、自分の親の法事に親戚のご婦人方も参加してくれているのに、非常識だろう…!!と思いました。

が、何と母はそのまま伯母と喧嘩状態で私を連れて帰ってしまったのです。
えーーーーーーーーーーーーーーーー!!!

車の中で戻った方がいいと何度も言ったのですが、「いいのいいの」の一点張り。
母曰く、法事など大した行事ではないと言っていました。

母って何か変だし、伯母さんも怒るよそりゃ!と思った記憶があります。

2.伯母に車の購入費を援助してもらった話

そんな伯母ですが、妹の金銭的援助をいつもしています。(心配しているんでしょう)
ある日、母の車が故障。車が無いと生きていけない地方では、一刻も早く買う必要があります。
貯金ができない母が伯母に相談すると、車代を出してあげるからすぐに買うようにという話に。

ありがたい伯母の申し出…しかし、たまたま遊びに来ていてその様子を見ていた私には違和感がありました。

「あれ…?母、一度も伯母にお礼言ってなくない?」

ずっと見てましたが、母は現金を伯母から受け取る際も一度も「ありがとう」と言わず、さも当然のように金額を数え「確かに」と言って買いに行ってしまったのです。

私は心配になり伯母に、「ねぇ、今お母さん伯母さんに”ありがとう”って言った?」と聞くと、伯母も慣れっこのようで「え?言ってないよ」との事。
えーーーーーーーーーーーーーーー!!!

いやいや、いくら姉妹でもそのくらい言って当たり前じゃない?と思った私。
え~母って非常識?と思いました。

母の家庭内でのポジションとは?

今思えば小さい頃母方の実家に帰った時、時々母は姉弟に怒られている場面がありました。
そして、今思えば原因は全て母の非常識な行動でした。
私もまだ小学生だったので、どちらが正しいのか判別できませんでしたが、
今思えば母が悪かったのでしょう。

子供ながらに、母が姉弟から怒られている事(大人なのに怒られてる事)に恥ずかしさで消え入りたい事が何度かありました。今思い出しても、あの感情は独特で何ともいえませんでした。

父との関係

母と父は熟年離婚しています。
父は発達障害ではないものの、その性格がめちゃくちゃ(無計画で愚痴っぽく破滅型)なせいで人生上手くいかないタイプの人でした。
仲良く会話しているなと思えば、突然喧嘩になったりと、見てて疲れる夫婦でした。

しかし、今思えば父は母の発達障害によるカサンドラ症候群だったのかもしれません。

もちろん父の性格はおかしかったです。ですが、二人の会話を聞いているとなんだか成り立っていないのです。父は本が好きでその著者関連の話をしたり、ニュースを見て内容について意見を言ったりするのですが、母はその話を深掘りするわけでもなく知ったかぶりをして、全然関連しない自分の話に持って行ったり、全く説得力のない決めつけで会話を進めたりしていました。


誇張でも何でもなく、とにかく「頓珍漢」な受け答えばかりなのです。
「朝ごはんは何を食べましたか?」⇒「私は白い食器が好きです」みたいな。ああ、頓珍漢ってこういう事なんだなと私は目の前で学んだのでした。

「お前と話をしててもつまらない」と、父は母によく怒っていました。

今なら精神的DVにあたるような、酷い言い草もかなりしていました。私はそれを見ていてひどく傷ついていたのですが、母はなぜかケロッとしているので不思議でした。

子供から見ても相性は最悪

この時もきっと母は「カプセル」の中にいたのでしょう。

伝わる事も無いけれど、傷つく事も無い。
もしかしたら傷ついていたのかもしれない。でも母の中で「お父さんたらまたそんな事言って~」ぐらいの小さな事柄へ縮小処理されて、どこかへ消えてしまう。
人の話を無かった事、たわいのない事へ勝手に変換してしまっていたのでしょう。


そんな毎日が積み重なり、父は浮気を繰り返し、そして離婚しました。

父を庇うつもりはありませんが、もしかしたら母には精神的共感や受容を感じられなかった父はそういった行動に走ったのかもしれません。

一時期自分は「愛着障害」だと言って鬱になり休職した事のある父と、全く人に共感できない母。
子供から見ても相性は最悪でした。

諦められればいいのにね

ここまで読んでくれた方がどれくらいいるのかわかりませんが、
大人になっても未だに母に執着している私を親離れできない奴だと思われるかもしれません。
ですが成長の過程でずっと本当の受容というものを感じてこれなかった私は、
未だに母に夢見てしまう事があります。

・いつか受け入れてくれる?
・いつか共感に満ちた言葉が聞ける?
・いつか今までごめんねと謝ってくれる?

母はもう70代です。そんな可能性はおそらくないでしょう、そして私は立派なアダルトチルドレンだという自覚があります。もうこれはどうしょうもない事実です。

小学生の頃は、THE母親 という感じのTVで作られた、優しさに満ち溢れた母親像と我が母のギャップに悩んだ事もありました。

しかし、母は母である前に発達障害っぽい一人の女性であったのです。
人にはそれぞれ特性があり、それぞれにできる事が限られているなというのは、私も親になり最近やっと理解してきました。母にももちろんいい所もあり、そのおかげで今まで働けてもいるわけです。

そして今、欲しい言葉を貰ったところで、もう私は大人になってしまいました。

一番共感や受容を欲していた中高生時代、よく頑張ったなと自分をほめてあげたいです。

自分の子育てについて

となると、私も発達グレーの感じがあるので、もしかしたら子供に対して母と同じ轍を踏むのではないかという恐怖があります。

今子供は3歳でとても可愛く、楽しく感じる瞬間も多いのですが、幼少期~中高生までの子育てが本当に不安で、共感・受容が私にできるのだろうかと、ふと思う事がありますが、幸いにも夫は健常で、共感受容の仕方を見せてくれているので参考になります。


そして私の母は、こんな母でしたがでも世界で一人の私の愛すべき母であり、
たまたまそんな母から私は生まれたというだけの事でした。

今後も母に受容して貰いたかったという欲望が顔をのぞかせる事もあるでしょうし、苦しみはまだ終らないのでしょうかそれも受け入れていかねばならぬと思っています。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。


30代の終わりに子供を高齢出産し、
只今3歳の息子と夫と暮らし毎日時間に追われながら、在宅ワークで稼いでいます。

このブログはそんな私の息抜きに書いているものです。
自分の考えも描いていきますが、一個人的意見ですので誰を批判・否定するものでもありません。

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